河岡教授・研究室にて

ウイルス研究者の特性に興味を持ったのは、東京大学医科学研究所の研究員の仕事ぶりを知ったことからでした。河岡義裕教授を中心としたチームワークは独特のものでした。相反する特性を併せ持つ柔軟性はどこから出てくるのだろう?と疑問を持ちました。そこで河岡教授の著作を2冊手に入れて読み始めたのです。後で述べますが、医科学研究所の初期のお話なので、規模が飛躍的に拡大した現在の東京大学医科学研究所全体にこの伝統が受け継がれているかは分かりません。

それは、科学者の書いたものと云うイメージではなく、一つの物語と云った方が適切でした。まず、書き出しは教授が米ウイスコンシン大学の研究室で研究していた時から始まります。

突然、見知らぬ女性から電話があり、河岡義裕教授の論文についての質問のようでした。その女性は直ちにラボを訪れました。名刺から判断するとどうやらCIAのエージェントのようでした。ここ一か月以内に会った人は?とか、交友関係などいろいろ質問してきたのです。これらは、バイオテロに対する警戒だったのです。

ウイルス研究者の前歴は多様で獣医師から情報科学まで、様々な経歴をもつ者の集まりでした。
柔軟性の源泉はこればかりではありません。熾烈な特許競争、世界を股にかけた感染元の現場調査、これには現地人との友好関係を築くことから始めなければいけないこと、等々。このような環境で「専門家バカ」が生まれるわけがないんです。

アフリカまでエボラ出血熱沈静化後の血液採取に出かけたとき、現地人の踊りの輪に入り、飲食を共にして友好関係を深めた様子など、ラボの研究者には珍しい体験が報告されています。

科学の知識を多様な物語の中から読み取るには全文を何度も読み返すしかありません。従って極力正確な科学知識をつかみ取ってお伝えするには多くの時間を費やしました。それでもこの報告は物語風となってしまいました。


2009年4月24日、米国疾病予防管理センター(CDC)から、東京大学医科学研究所に届いた。荷物は、河岡義裕教授が依頼したものだった。その内容は、メキシコで流行した新型インフルエンザの原因ウイルスらしい。

研究所では早速適切なチームが編成され、役割分担が決められた。仕事の内容は、まずウイルスの増殖を行うことがすべての前提だった。それも一刻の猶予もなく大至急やることが求められていた。研究所内の最適な役割分担が定められ、動物実験による治療薬の検証に至るまでの作業の手順が決められた。新型インフルエンザはウイルスの遺伝子配列の分析結果から、豚インフルエンザ、鳥インフルエンザ、ヒトのA香港型のウイルスが混合した厄介なウイルスであることが分かっていた。

BSL3実験室での作業はウイルスの増殖から始まり、増殖が成功すると早速、協力先の大学研究室へ送られた。協力先では主として動物実験が行なわれた。奇跡的に約2ケ月ですべての作業工程が終わり、結論としてこの新形インフルエンザウイルスにはタミフルが効くことが分かった。そして、論文を米科学雑誌「サイエンス」に発表した。7月6日には論文アセプト(受理)の通知を受けた。

この研究結果の基礎となったのは、同研究所で開発されたインフルエンザウイルスの「リバース・ジェネティスク法」(1999年5月27日論文査読通過)であった。この技術はインフルエンザウイルスを人工的に合成することができる画期的技術だった。

注)「RNAウイルスのリバースジェネティクス法」は、プラスミドにクローン化したウイルスゲノム由来のcDNAなどを培養細胞に導入することで感染性の組換えウイルスを人工的に合成する技術です。この技術により、ウイルス遺伝子を任意に改変することが可能となり、ウイルス学研究の発展に大きく寄与してきました。

リバース・ジェネティスク法は世界の感染症研究に使われ創薬やワクチン開発には必須ツールとなっている。

目立った応用例ではシベリアの永久凍土から発見されたスペイン風邪に罹ったことのある女性の遺体から採取された遺伝子を抽出し、インフルエンザウイルスの塩基配列も決定することに成功したと云うニュースが河岡教授の耳に入ってきた。これが80年の年月を経て、ようやく判明したスペイン風邪の正体だった。

その後スペイン風邪の塩基配列決定に成功したタウエンバーガー博士のグループは、他の遺伝子についてもシークエンス解析を進め2005年までに八つのすべてのウイルスゲノムRNAの遺伝子配列を決定した。

2006年、河岡研究所は、スペイン風邪ウイルスの人工合成プロジェクトをスタートさせた。河岡義裕教授はリバース・ジェネティスク法を使って、この現代にスペイン風邪ウイルスを蘇らせることができると確信を持っていた。

普通のBSL3ラボではスペイン風邪ウイルスは扱えないので、カナダのハインツ・フェルドマン博士の研究室に行って、同研究室のBSL4施設でスペイン風邪ウイルスの実験を行った。こうして、スペイン風邪のウイルスを人工合成に成功した。

開発から約10年後から、世界中のインフルエンザ研究室でリバース・ジェネティクス法が用いられている。


以上は 伝染病研究所が医科学研究所に改組された医科学研究所の創業期をご紹介したもので、現在では大規模化し海外拠点も含め1000名規模となっております。ヒトゲノム解析センターには、生命科学に特化した大規模演算性能をもつスーパーコンピュータ(SHIROKANE)設置されています。

東京大学医科学研究所のHP
https://www.ims.u-tokyo.ac.jp/imsut/jp/about/index.html

最初に述べましたが、あまりにも規模拡大した現在の医科学研究所全体に伝統が受け継がれているかどうかは分かりません。しかし少なくとも、感染・免疫部門(ワクチン科学分野)には河岡教授の実績が受け継がれそれを基礎にして新しい考え方のワクチン開発が進むものと考えております。

次に注目の、感染・免疫部門の研究テーマについて付記します。

東京大学医科学研究所、感染・免疫部門(ワクチン科学分野)石井 健 研究室
研究tテーマの説明(研究所HPより)
「新規ワクチン技術、アジュバントの開発」 アジュバントは強い自然免疫賦活化物質であることが多く、使いようによって毒にも薬にもなりえます。即ちアジュバントの有益な作用を最大限引き出し、有害な副作用をミニマムに抑えるための技術が必須となります。そこで我々はその特異性を上記のような自然免疫の受容体、シグナル伝達経路、エフェクター分子を介し高めるのはもちろん、DDS技術を用いて粘膜などの組織、細胞、細胞内ターゲッテイング能力を高めたアジュバントを開発しています。さらにこれらの研究成果を分子のレベルから生体のレベルに引き上げ、かつマウスから人のシステムに転換し、臨床の現場に還元するさせる作業を迅速に進めます。

最後に河岡義裕教授の「人類はウイルスとどう向き合うか」と云うメッセージをご紹介しておきます。

今まではウイルスを病原体としてとらえ、ヒトに有害な面ばかり言及してきました。しかし、ヒトに感染しても無害なウイルスも存在します。

風邪の原因となるアデノウイルスの一種でほとんど病原性のないウイルスが、子宮頸がんや乳がんのがん細胞を破壊したと云う報告があります。ウイルスには、細胞の持つ特定のレセプターに結合する性質があります。ウイルスの中には、がん細胞に特有のレセプターが存在し、感染したがん細胞を破壊すると推測されるのです。

また、病原性ウイルスを攻撃する変わったウイルスも研究されています。CBウイルスC(CVB-C)に感染しているエイズ患者では、症状の進行が抑えられていると云う報告があります。
このウイルスは、肝炎ウイルスの一種とされていますが、肝炎を発症させることはなく、エイズHIVの増殖を抑えていると推測されます。

ウイルスはまだ謎ばかりです。ウイルスが遺伝子の運び屋として、生物の進化に大きく関わっているのではないかとも言われています。ウイルスの役割は想像以上に広いのかもしれません。ウイルスを撲滅しようとするのではなく、人類がウイルスを利用して、より良い社会を築くという試みも行われています。


河岡義裕教授のこのような柔軟な考えが東京大学医科学研究所、感染・免疫部門(ワクチン科学分野)石井 健 研究室にも受け継がれ、新しい考え方のワクチンが開発される事を期待します。
もちろん、ADE(Antiboy Dependent Enhacemeennt)の弊害を克服した技術でなければなりません。このグループは他に先がけて成功する可能性があると確信します。河岡義裕教授の慎重さを念頭ににおきながら—。

注)Antiboy Dependent Enhacemeenntとは、「 抗体依存性感染増強」で、抗ウイルス抗体の存在によりウイルス感染が増強される現象

本当の科学とは一時の流行のようなものではないのです。河岡義裕教授の技術は1990年代から脈々と生きており、新型コロナウイルスの現在でも立派に通用しているのです。これが表に出ないのは先生の慎重さもあるが、アメリカでの長い研究生活から、感染症関連の技術はCIAマターであり、軽率に取り組めば研究者として命取りになる側面があるからです。そればかりでなく熾烈な特許競争の面からも慎重にならざるを得ないのでしょう。

この分野では慎重さとスピードと云う相反するものが求められています。世界的規模での競争と協力が求められるため、この分野の研究者は多様性に富み、人間的で頭の良い優秀な人材が多く育っているのです。河岡義裕教授はそのような人材をたくさん育てており、東京大学医科学研究所感染・免疫部門 ワクチン科学分野にもその人材が存在します。

この様な有能な科学者に負担をかけないよう周りから政治的圧力を排除するための協力が必要です。その為にはまず彼らの活動を知ることです。理解してはじめて応援できるのです。

参考)
金子勝(立教大学大学院特任教授)の最新動画 【金子勝の言いたい放題】都知事選総括!問うべきは何か 2020・07・08(河岡義裕教授の活動とは対照的かもしれませんが、この視点も両立させる必要性を感じます)
https://www.youtube.com/watch?v=HGE_ILpLQaA

世界の感染者数が1100万人を超え、死者が52万人超となり、WHOが警鐘を鳴らす事態に至りました。
単なる感染症の問題ばかりでなく、深刻な経済への影響、更には政治の混乱など資本主義のあり方にまで及ぶ拡がりを見せてきました。

今回は、今までウオッチしてきた関係する科学者、専門家の主張を概説し今後の予測を語りたいと考えました。
その中で浮き彫りとなった視点は、科学者・専門家の相互の連携、それを阻害する政治体制の問題です。

ご紹介する関係者は、お馴染みの児玉龍彦氏( 東京大先端科学技術研究センターの名誉教授)、山中伸弥氏(京都大学iPS細胞研究所所長・教授・2012年ノーベル生理学医学賞受賞)、新たに河岡義祐氏(東京大学医科学研究所教授・ウイルス研究)、島田真路氏(山梨大学学長)です。

特に今回初めて問題視した政治の関わり、これは避けて通れない、しかも優秀な科学者に負担をかけてはいけない分野であることを前提として、如何にして突破するかをまず問題提起だけでもと考えた次第です。現状は放置できないと考えた児玉教授や島田学長がある程度、政治的発言をなさっているのですが、科学者に要らぬ負荷をかける事は、日本の恥と云うべきです。

福島原発の放射能問題でも真面目な科学者が政治的発言をしたために、原発推進派からバッシングを受け潰されていった経過を覚えています。コロナの場合は、特に科学者の基礎研究に基づいた知見が重要ですから、科学者が政治に振り回されてはいけないのです。ただ科学者が政治から妨害されているとすればその実態は科学者の発言からくみ取るしかありません。

以上の背景から、島田学長の発言を取り上げさせていただきました。エコノミストOnlineより全文を末尾に掲載しておきます。


今回の焦点は、「免疫、抗体、ワクチン」です。

先日のNHKスペシャル、「タモリ×山中伸弥 ”人体Vsウイルス”驚異の免疫ネットワーク”」 をご覧になったかと思いますが、この番組の中に問題の焦点が集約され、山中伸弥教授の「ファクターX」に関する考え方などが紹介されております。

番組の中で語られた「免疫、抗体、ワクチン」につき概略ご紹介しておきます。
最初に40億年の歴史、単細胞生物とウイルスとの共生(この件に関してはこのサイトでも以前説明しております)から始まり、ウイルスとの攻防を繰り広げる私たちの免疫の仕組みに人類を救う秘められたカギがあること。

なぜ日本人に重症者が少ないのか、何が症状の重さを左右する決定打とは?。カギを握るには驚くほど精緻な仕組みと、それを巧妙にかいくぐるウイルスの特殊能力です。

ここまでは児玉龍彦氏の動画をいくつかご覧いただいた読者の皆さんはよく理解出来るはずです。お気づきと思いますが微妙な見解の相違も現れております。それは精密抗体検査器による各種抗体の動的、量的把握など現場に密着した研究結果が紹介されていないことです。
抗体研究についての明確な目標が限定され、以下に述べるマイケル・ケビンさん(抗体大量保有者の血漿注入で奇跡的に、エクモにかかる重症から回復した患者)の治癒から出発した抗体培養に期待を寄せる希望的観測に終始している点が気になります。

リリーテクノロジーセンター(アメリカ・インデアナポリス)のワクチン生産を支えるカリフォルニア工科大学パメラ・ビヨークマン教授の仮説への疑問は、6月24日の「ワクチン神話を疑え!SARSで17年間わワクチンが出来なかったわけ、児玉龍彦×金子勝」の動画を視聴されればご理解いただけると思います。
https://www.youtube.com/watch?v=y6W83Y85zJs

ウイルスの変異がどんどん進むと、仮にワクチンが出来たとしてもADE(Antiboy Dependent Enhacemeennt)を起こす危険性があり、抗体ができることと免疫が獲得されることとは同じではない。サイトカインストームが起こる危険性さえ無視できないと警告されております。

注)Antiboy Dependent Enhacemeenntとは、「 抗体依存性感染増強」で、抗ウイルス抗体の存在によりウイルス感染が増強される現象


国産ワクチンとして、開発が進められているアンジェス山田社長、新型コロナのDNAワクチンの開発状況を明らかに。
https://bio.nikkeibp.co.jp/atcl/news/p1/20/03/26/06735/

結論的には今後の開発スケジュールは。PMDAから助言などを受けているのか。の問いに対し次の回答をしている。
現在精査中だ。臨床試験の規模やデザインについては、今後の課題であり、厚生労働省、PMDA、感染研などと協議しながら進めていきたい。
Antiboy Dependent Enhacemeenntに関してもこれから動物試験を行うとの事で、まことに頼りない返事でした。この段階で過剰な期待を寄せる政治家や報道機関の無知には驚きを覚えます。


次に、現場に密着して精密医療の考え方を10年来実践されていて、この問題の難しさを身をもって体験されている河岡義祐氏(東京大学医科学研究所教授)の考え方をご紹介しておきます。河岡教授はこの問題について大変慎重な姿勢を示しております。

東京大学医科学研究所のウイルス研究はアフリカのジェラオネに実際出向いて現地住民と友好関係を築き、エボラ出血熱終息後の血液採取に成功し、持ち帰った検体の研究から数々の成果を論文で発表したことが、現在の新型コロナウイルスの研究につながっております。

その後インフルエンザウイルスの人工合成に成功し、今回の新型コロナウイルスの電子顕微鏡写真の撮影に先駆けて成功し、着実に成果を積み上げております。河岡教授は感染症について、基礎的研究を地道に進められている稀有な科学者なのです。

この研究所のモットーは「SAVE THE WORLD」です。同研究所について詳細はホームページをご覧ください。
https://www.ims.u-tokyo.ac.jp/virology/index.html

以上の情報から、山中教授を始め有能な科学者が連携してコロナと闘う体制ができると良いのですが、何とかならないものかと気がかりです。中でも、最も頼りになる専門家として河岡義祐教授に辿りついたことは何よりの収穫でした。


そこで、妨げているのは今の日本の政治ではないかと考えざるを得ません。最後にこれに関する島田慎路山梨大学学長へのインタービューをご紹介します。

エコノミストOnlineより

島田眞路・山梨大学長に聞く「政権のコロナ対策は何が問題だったのか」ここでコロナに話を巻き戻す。今回登場願うのは島田眞路・山梨大学長だ。
読者は島田学長のことをお聞き及びか。医学部と付属病院を有する地方国立大学として、どこよりも早くコロナ対応に取り組み、率先垂範で学内・医療体制を整備、PCR検査のためのドライブスルーを大学構内に設けるなど、先取、果断、異色の大学人である。
PCR検査不足を日本の「恥」と言い切り、それを各国並みに引き上げるため、大学の検査余力を全開すべく、各大学に「蜂起」を呼びかけた話題の人でもある。

<コロナにはいつ危機感をいだいたのだろうか?>

1月25日のことだ。中国・武漢の様子を伝えるニュースを見て目を疑った。1000床の専門病院を2棟、10日余りで建設する、という。医療関係者は個人防護具をフルに着用して患者に接している。日本も直ちに準備を進めないと大変なことになると直観した。

27日、学内で初対策会議を開いている。
病院長をはじめ感染制御、医療安全のメンバーを集め、感染拡大に備えて院内の体制整備を進めていくことを申し合わせた。
山梨大病院は、感染症指定医療機関ではなかった。

国立大学病院としては山梨県の医療における最後の砦だ。指定、非指定を超えて対応すべき問題だと考えた。山梨大病院独自のメリットもあった。2015年に新病棟に移転した際の旧病棟(約300床)がまだ取り崩さずに空いており、万一の場合にはこの病棟も活用できるよう医療ガスやナースコールなどの休止設備の立ち上げ準備も指示した。

<1月の時点なのになぜそこまでの対応を?>

02〜03年のSARS(重症急性呼吸器症候群)の体験があった。ちょうど病院の感染対策委員長の職にあり、自分なりに勉強した。
致死率の高い感染症に対し如何に我々が無力であるかを思い知らされた。山梨ではSARS患者を一人も受け入れることができない、という結論になってしまった。
一方で、ベトナムがSARSの専門病棟を新設、隔離に成功した事例が頭に焼き付いていた。テレビで見た武漢の動きも同じと判断、旧病棟のこともあり、今回は我々でも対応できると考えた。今回もまた患者を拒否したら山梨県の医療は壊れる、とも思った。
 
<当時はまだ中国の問題だと考えていたのか。>

隣国のあの映像を見せられ、まだ他人事ごとと思うのは感度が悪い。
確かにSARSは日本上陸しなかったが、今回もそう思うのは楽観的過ぎる。私は絶対に来ると思い、自院のPCR検査体制の構築を図ってきた。院内感染防止のため検査精度を上げる努力を続けた。
その結果、コロナに感染した20歳代の髄膜炎・脳炎患者の症例研究や、乳児のコロナ陽性感染者の発見での貢献もできた。大学病院でのドライブスルー検査も5月8日から開始している。

新型コロナウイルスの感染拡大を受けて出席者全員がマスクを付けた経済財政諮問会議に臨む(手前から)安倍晋三首相、麻生太郎副総理兼財務相、菅義偉官房長官=首相官邸で2020年3月31日午後6時16分、川田雅浩撮影
PCR検査を増やさなかったことで被害を拡大させた政府(写真省略)

<PCR検査の重要性を一貫して訴えてきたのはなぜか。>

コロナに感染か否かを唯一診断できる検査法だ。偽陰性率が高いとの批判もあるが、これをやらない限りこの病気と診断できない。
抗体、抗原検査もあるが。
抗体検査は、過去の感染歴が対象で、診断と治療には結びつかない。
抗原検査は診断、治療に結びつくが、感度が悪い。抗原検査して陰性でもさらにPCR検査で確かめてください、という。だったらPCR一発でやった方がいい。
だから世界はPCRをどんどん拡大し、感染者を幅広くとらえていく方策を取った。 

<日本だけが違ったということか。>

『37・5度以上の発熱4日間』といった相談・受診の目安(2月17日)や、『PCR検査の資源を重症化ケースに集中させる』との専門家会議見解(2月24日)で、むしろ検査を抑制した。
背景には、感染の塊(クラスター)追跡が感染防止の王道で、そこへの検査の集中が効率的だとするクラスター至上主義があり、検査を増やすと、軽症感染者まで入院させることになり医療キャパが持たない、という理屈を押し立てた。

ただ、いずれも誤っていた。前者は、孤立した感染者はクラスターを作らない限りは他者に感染させないという仮定に基づいたものだったが、経路不明の市中の無症状・軽症感染者が増え、そこから感染が広がる、という盲点があった。
後者について言えば、軽症者は入院ではなく、ホテル、宿泊施設に入ってもらうという柔軟対応が取れたはずなのに、いつまでも感染症法上の指定(無症状感染者でも入院義務付け)を盾に動かなかった。

<検査抑制が方針化した。>

検査の抑制は、専門家会議と厚労省のクラスター戦略の結果だったが、安倍政権としても、習近平国家主席来日事業や東京五輪を予定通り実施したかっただけに、感染者数が低く出ることが共通の利益だった。

参院財政金融委員会で答弁する麻生太郎副総理兼財務相=国会内で2020年3月26日午後1時32分、川田雅浩撮影
厚労省に遠慮する文科省は動かなかった(写真省略)

<そこで検査拡大のための蜂起を促した?>

検査不足は日本の恥だと思った。検査を請け負った地方衛生研究所と保健所は、いずれも厚労省傘下の行政機関だ。検査数は週末に落ち込むし、稼働状況もばらつきがあった。
臨床現場と密接に関わる検査を行政機関のみに依存してきた体制が無理筋で、検査拡大に向け、パラダイム転換が必要だと思った。
つまり、厚労省ができなければ文科省と民間がやる。

大学病院は地域においては最高の医療水準だ。第一種感染症指定の大学病院は全国に16施設、第二種感染症指定は、分院等も含めて28施設ある。大学が責任を持てば検査体制強化へ貢献できる。なぜこれを使わないのか。
1月29 日に国立大学協会で演説、3月4日の全国国立大学学長会議でも訴えた。「遅きに失した感はあるが、諦めるにはまだ早い。事の重大性を認識し、地方国立大学こそ蜂起すべきだ、と」。

<反応はどうだった?>

文科省は各大学にPCR機器があるかのアンケートは取ったが、厚労省のテリトリーには遠慮がある。各大学にも残念ながら呼応する動きが出なかった。

<その結果どうなった?>

東京五輪延期が決まる3月24日までは、地方衛生研・保健所がほぼ検査独占を維持、検査上限は世界水準からかけ離れた低値にとどまり、途上国レベルの実施件数という大失態を招来させた。
感染実態が不明になり、社会的隔離の初動が遅れ、感染者の潜在的な拡大に応じた重症者、死亡者が出現した。
検査陽性者が重症者に偏り、感染者数のピークアウト後も死亡者数がピークアウトしない日本特有の現象も起きた。「誰も自分が間違ったとは言わない」

<その反省、総括が不足?>

誰も自分が間違ったとは言わない。この国には頑かたくなな無謬主義と浮ついた自画自賛が蔓延している。
安倍氏は「日本モデル」が成功した(5月25日会見)と胸まで張った。
欧米に比べて感染者数、死者数が少なかったことをジャパニーズミラクル(日本の奇跡)だという風潮を土台にした発言だが、これは奇跡ではない。虚構だ。

感染者数について言えば、PCR件数をOECD諸国の中でも最低水準にとどめることで、数字に表れる感染者数を低く抑え込んでいるだけで、相当数の陽性患者が見過ごされてきた。死者数も、検査自体が少ないだけに、実数を網羅できていないと見るのが常識だ。国立感染研公表のインフルエンザ・肺炎死亡報告の超過死亡数を見ても、東京の2、3月は明らかに例年より死者数が多い。警察庁も、不審死のうちコロナ陽性反応が出たケースが5月21日までに9都府県で26人いたと22日の衆院厚生労働委員会で明らかにした。表面化したのは氷山の一角だと考えるべきだ。

仮に、あの死者数が正しいとしても、欧米と比べて少ないだけで、西太平洋、アジアという枠組みでは異なる。人口10万人当たりの死者数(5月16日時点)で見ると、日本0・57に対し、韓国0・51、NZ0・43、豪0・39、マレーシアが0・36、中国が0・35、台湾が0・03だ。西太平洋19カ国の中で日本は比の0・76に次いで高い水準にある。つまり、欧米と比較するなら『パンパシフィックミラクル』『アジアミラクル』であり、死者数で日本を持ち上げる根拠は乏しい。勘違いしてはいけない。

<欧米とアジアの差は?>

これが一番難しい。『ジャパンミラクル』ならBCG接種説があるが、同じ低致死率の豪、NZには接種慣習はない。アジア人と欧米人の人種差といっても豪が入ってくる。
私自身は、西太平洋地域共通のコロナウイルスがあり、我々はしょっちゅうそれにかかって免疫があるが、欧米人には全くそれがなかった、という仮説を持っている。

<第2波以降の構えは?>

やはり、PCR体制作りだ。改善されたが、なお足りない。ジャパンミラクル説に浮かれ、これまでの失敗にきちんとした総括ができていない。間違ったことは率直に認め、出直すことだ。1日10万件は欲しい。大学をうまく使いなさい、と僕が何回も言ってきた通りだ。もちろん予算も必要だが、大学さんやってください、といえばやると思う。

<熱血学長はこう締めた。>

世界中のオープンデータがリアルタイムに入手できる今、取り繕ったり、欺いたりするのには限界がある。自己正当化に固執せず、アカデミズムの精神でデータに基づいた建設的な議論を促進すべきだ。専門家と称する人々に盲従するのは、アカデミズムの欠如と衰退にほかならない。
この悲憤と叱咤 。心に深く刻み、第2波に備えたい。

<回答者・質問者>

しまだ・しんじ 1952年生まれ。山梨大学長。日本皮膚科学会理事長。医学部と付属病院を擁する国立大学として先進的なコロナ対応を進め、PCR抑制策を痛烈に批判して注目を集める

くらしげ・あつろう 1953年、東京都生まれ。78年東京大教育学部卒、毎日新聞入社、水戸、青森支局、整理、政治、経済部。2004年政治部長、11年論説委員長、13年専門編集委員山梨