自由民主党主党行政改革推進本部から発表された「日銀の金融政策についての論考」とサンデー毎日のMMTに関する記事について

平成29年4月19日 自由民主党主党行政改革推進本部から「日銀の金融政策についての論考」という論文が発表されました。
この内容を精査すると従来の同本部のスタンスと全く異なるものだということが明らかです。これについて疑問を持って調べたところ変化の原因を見つけることができました。
それは行革推進本部長が河野太郎氏であることが関係しているのではないかと考えた次第です。

河野太郎行革推進本部長によるブルームバーグでの4月28日付インタビュー「自民・河野氏:日銀は異次元緩和の出口を語れ、長期化するほど困難に」では、より直截に異次元金融緩和政策への本音的な批判が語られています。「日本銀行がバランスシートを膨らませ続ければ、異次元緩和からの出口は「加速度的に難しくなる」とした上で、「直前になって実は津波が来る」という事態に陥らないためにも、早い段階で出口戦略を市場と共有すべきだ」という見解を示したのです。

【日銀の金融政策についての論考】平成29年4月19日自由民主党行政改革推進本部

(1)黒田日銀総裁の下での果断な金融緩和策等により「もはやデフレではない」状況を作り出した。その結果、名目GDPと実質GDPのねじれの解消も実現し、雇用等の実体経済にも好影響が広がっている。この先、デフレ脱却を確実にするためにも、アベノミクス三本の矢のひとつである大胆な金融緩和に求められる役割は引き続き大きい。他方で、大規模な金融緩和が4年近く続いたことによる課題も散見される。こうした問題意識のもと、行政改革推進本部では、5回にわたり有識者ヒアリングを行い、今後の金融政策のパスとそれに伴うリスクを議論。本提言は、デフレ脱却を確実にするために日銀による大規模な金融緩和が当面継続されることを念頭に置いたうえで、そのリスクを喚起し、適切な対応を日銀や関係府省庁に求めるものである。

(2)異次元の金融緩和策において日銀が年間80兆円のペースで国債を大量に買入れた結果、市中の国債流通額のうちの約4割を日銀が保有する状況となっている。巨大化した日銀のバランスシート上のリスクを考えるうえで最も注視しなければならないのが、日銀の出口戦略に伴うリスクである。日銀が目標として掲げる2%の物価目標を達成した際、すなわち現在の大規模な金融緩和の出口に直面した際、市中の名目金利も2%を超えて上昇していくことも想定されるため、日銀は市中金利を上回る金利を銀行の超過準備に付与しなければならない。その場合、日銀は低利かつ長期の国債を資産として大量に保有する反面、日銀の負債サイドでは、短期かつ高利の日銀当預等を抱えることになるため、受取金利の減少・支払金利の増加により毎年数兆円規模の損失が発生すると指摘されている。付利の引き上げではなく、保有国債を売却する選択をしても、多額の売却損が発生することになる。このほか、マイナス金利政策の導入に伴い国債を額面価額以上で購入してきたことで発生する償還差損や、ETFやREIT等の増額購入により発生しうる減損など、非伝統的政策がもたらす新たなリスクも日銀はバランスシートに抱えている。

(3)これに対して、日銀は相応の引当金や準備金を保有し対応しているものの、上述のように損失が膨らむと、日銀の国庫納付金の減少を通じて政府の財政収支にも負の影響をもたらす。さらに万が一にも損失が想定外に拡大し引当金や準備金を上回ってしまうと、いよいよ日銀は債務超過に陥る。理論上、債務超過状態となっても日銀の業務を続けることは可能。しかし、先進国の中央銀行のなかで、債務超過に陥った中央銀行は存在しない。したがって、今後の金融経済情勢によっては、円の信認を維持する措置を講じざるを得ないシナリオも覚悟しなければならない。

(4)なお、金融機関の預金準備率等を大幅に引き上げることにより(その場合、日銀にとっては金利を支払う必要が無い負債が増えることを意味するため)日銀の損失を和らげることもできるが、この政策を採用すると、本来日銀から受け取ることができる金利が減少するため、金融機関の収益を大きく圧迫することは避けられない。

(5)「金融政策における中央銀行の独立性」は、近代国家が何より尊重しなければならないルールである。本提言もこの基本原則に立っており、日銀の金融政策に口を挟むことを意図していない。他方で、わが国の金利環境が将来的に大きく変化した際に、上述の通り、日銀のバランスシートの毀損等により、わが国の財政も影響を受ける可能性がある。

(6)そこで、本提言では、日銀に対して、とりわけ出口戦略に伴うリスク等の分析に関して、市場との対話をより一層円滑に行うことを求めたい。これまで日銀は、物価目標の達成時期を5度変更しており、市場と日銀の意思疎通が円滑でなくなっている可能性ある。実際に、市場関係者のアンケートでは、日銀の目標達成時期を信じている人は約7%となっている。また、日銀の政策が分かり辛いと感じている人も約6割に上る。出口戦略の要諦は市場とのスムーズな対話であり、この点、FRBやECBも様々な配慮を講じている。出口戦略を議論することは時期尚早との意見もあるが、少なくとも事前にリスク等を分析し市場と対話を図ることは必要といえる。

(7)政府の責任も重大である。日銀の出口戦略の際の最大のリスクは金利の急激な上昇である。市場が政府の財政健全化策に懐疑的になれば、国債価格は下落し金利が上昇する。そうなれば、秩序だった出口戦略は益々困難になる。こうした事態を避けるため、政府は市場の信認を失わないように、保守的に経済見通しを行い、その前提のもとで財政健全化に向けた取り組みを着実に前進させるべきある。また、万が一の場合に備えて、日銀が債務超過に陥った際の政府との取り決めを検討していくことも、市場の安心感につながるとも考えられる。

(8)「出口」の際に、金融機関や金融市場に与える影響も十分考慮すべきである。現在、日銀、金融庁、財務省の関係機関高官で定期的に情報交換を行っているが、こうした場も含めて、日銀と関係府省庁との連携を密にすべきことは言うまでもない。以上.

河野氏は日銀に対してものを言っていますが、決してアベノミクスの批判はしておりません。(しかし”異次元緩和の出口論”は間接的にアベノミクスの批判になっているのではないでしょうか?)

以上を踏まえた上で、更にアベノミクス批判を激しく行った次の専門家の意見を合わせて見ていただきたいのです。共通点と相違点が存在しますが、その解釈は立場によって異なるのでここでは、あくまでもこの2つの見解をご紹介して、それぞれで考えていただければ幸いです。 

2,019年11月17日号サンデー毎日 倉重篤郎のニュース最前線

れいわ新選組・山本太郎も掲げるMMT(現代貨幣理論)はアベノミクスと同じだ!国の借金、返す必要がない――無責任学説の欺瞞を暴く

山本謙三(元日銀理事)金子勝(立教大大学院特任教授)野口悠紀雄(一橋大名誉教授)

https://mainichi.jp/sunday/articles/20191104/org/00m/070/006000d

全文は上記のリンクでご覧いただくとして、ここでは金子勝氏の文だけ掲載しておきます。

財政規律とは、増税や歳出カットによって歳入と歳出のバランスを保つこと。当たり前のことである。だが、言うは易(やす)し、行うは難し。すでに1000兆円超の累積赤字を抱え、毎年の予算編成でも60兆円台の税収で100兆円を歳出する日本財政の現状からすると、規律の道はあまりにも遠く、茨(いばら)の道である。

一方で、まだ財政ニーズはゴマンとある。目の前の貧困者救済、将来世代のための教育費の無償化、出生率を上げる関連予算、イノベーションのための科学研究費、抑止力強化のための防衛費……と左陣営の要望から右陣営まで枚挙にいとまがない。

この二律背反、財政袋小路的状況を背景に台頭してきたのがMMT理論だ。

確かにありがたい理論ではある。「自国通貨建て」と「インフレにならない限り」という二つの条件をクリアできれば、いくら借金してもよろしい、つまり財政規律は気にするな、というものだからである。

ただし、美味(おい)しい話には裏がある。私は、二つの意味で怪しい議論だと思う。

第一に、いくら借金してもいいなら税金なんていらない。国家財政は全部借金で調達すればいい。極論だが、そう言いたくなる。

第二に、安倍晋三政権が展開中のアベノミクス(=異次元金融緩和政策)との微妙な因果関係である。なぜ安倍政権が異次元政策を採用したか。財政、金融という二つのマクロ政策のうち、膨大な借金を抱える中、これ以上財政に頼ることができない、という判断から、金融に異次元の役割(日銀の事実上の国債引き受け)を求めたものであった。劇薬的政策という認識もあり、2年での撤収予定が7年目の今でも続き、なお2%の物価目標を達成できていないというのが現状だ。

つまりMMT理論の怪しさの二つ目は、安倍政権のマクロ政策を金融から再び財政にシフトするきっかけを与えそうなことである。もちろん、安倍政権自体は、財政健全化の努力は継続している、ということを理由にMMTに与(くみ)せず、という姿勢だが、MMT議論の高まりを背景に、今後財政支出にまた軸足を移していく可能性があると私は見ている。異次元緩和とMMTの合体ともいえる事態だが、あまりにもご都合主義ではなかろうか。財政には迷惑をかけないからと金融を異次元化したものの、目標を達成できず数々の副作用(財政規律低下、日銀財務悪化)まで生み出した果て、その失敗の総括、反省もないまま、今度は財政をも異次元化しようというのだ。

そもそもMMT理論の論拠には、この異次元緩和政策によるかくまでの借金財政でもなおインフレにならないという日本モデルがある、とされている。その意味では、アベノミクスがMMTの育ての親でもあり、そこにまたこの理論の危うさを感じるのである。

金子勝氏「MMTについて」

本日の主題は「日銀の金融政策についての論考とMMTの関連をどう考えるか」なので、MMTについて遠慮のない批判を展開した金子勝先生の動画を最後に掲載しておきます。

景気変動と株価

前稿でジョージ・ソロスの著作をご紹介しましたが、その後「ソロスの講義録-資本主義の呪縛を超えて」を読了しましたので改めて解説いたします。2009年から温めていた構想が、10年後の今日に生きている先見性に驚きを覚えたところです。

この本が投資術や処世術だと見るのは勝手ですが、それらを包含する高度な哲学だと云うのが私の解釈です。
この本は先ず社会科学が自然科学を真似る誤りから説き起こしております。

17世紀の哲学者デヴィッド・ヒュームの警告を引き合いに出し「”理性は情念の奴隷”だと云う現実主義的見解に基づき、脳科学の発展のおかげで”人間の世界理解は本質的に不完全である”と云う私の主張に更に肉付けが施された事になったと思います」と語っております。

「認知」と「操作」が相互作用を引き起こす仕組みを「再帰性」の概念として説明しているのですが、わかりやすい事例をあげているのでここではその紹介にとどめたいと思います。
「アメリカ人は、日を追って洗練されている心情操作のテクニックによって条件付けられており、今では騙されることを気にしなくなっているのです。それどころか、騙されたがっているようにさえ見えます。」(これが日本人にも当てはまると思うと、まことに耳の痛い話ですね。)

「人間は単純で簡単な回答へと、たとえそれが間違っていようとも容易に誘導されてしまいます。ある予測が正しいとは限らないということを理解するには、人間は一生を丸ごと費やさなければならないかもしれませんが、政治コマーシャルを鵜呑みにするには30秒しかかからないのです。」(近年流行している世界のポピュリズムに対する警告です)

以上は私が脳科学を学んだ過程で得た「複雑系の理論」に似ております。そうなると再帰性のデメリットに対して解決策はあるのかと云う課題に突き当たります。ソロスはこれに対し明快な回答を提示しているのです。「再帰性が社会的事象の参加者の思考にも、その事象の過程にも不確実性をもたらすということを、最初に指摘しておけばよいのです」

「死後の生は存在するのか否かと云う問題に触れた際に見たように、真実を究明することは難しく、しかも何が真実かが分かったところで、それが心情的に受け入れ難いものであることがしばしばです。とはいえ、心理的、政治的な抵抗の最も少ない経路を通っていきますと、真実とは正反対の方向に向かうのが相場だというのも、また真実なのです。不愉快な現実を無視して、もっともらしい嘘を信じ続けると、必然的にそうなるのです。開かれた社会が開かれたままで繁栄しいくためには、摩擦を恐れてはいけません。」(日本の政治状況に対する警告と受け止めました)

社会科学が自然科学のマネをする過ちを指摘し、社会科学を「再帰性」から守るには、最終的には、倫理性と道徳が欠かせないと云うのがソロスの主張のコアだと思われます。
マルクス主義も市場原理主義に基づく「ワシントン・コンセンサス」もこの重要な視点を欠いていると指摘しております。

「カール・マルクスはイデオロギーつまり思考は、生産の物的条件で決まるものだと主張しました。マルクスの理論はポパーの法則に照らせば、科学的とは言い難いものです。ですが、彼は自分たちの作業を科学的だと称してはばかりませんでした。—-方法論も評価の基準も異なるのが当然なのです。
(これから後は新自由主義にも共通の批判ですが)経済理論は、歴史上の出来事を説明するのにも予測するのにも使えるような、普遍的な法則を構築できると期待されるべきではありません。社会的事象を研究する際に、盲目的に自然科学を真似ることは、人間的、社会的事象を不可避的に歪曲する結果をもたらすものだと、私は確信しています。社会科学が自然科学を真似ても、その果実は自然科学そのものに比べて、ずっと乏しいものになるでしょう。」

次にリーマン・ショックの教訓について書かれた例え話を紹介しておきます。「2008年から2009年にかけての世界金融危機は、百年に一度の大嵐に喩えるとわかりやすいと思います。そこに至るまで、いくつもの危機が発生しました。それらは、5年に一度とか10年に一度の規模です。5年に一度とか10年に一度の危機はうまく克服できた規制当局は、同じ方法でもって100年に一度の危機に対処しようとして失敗したというわけです。」(台風19号の教訓に通じます)

「まず、2007年にサブプライム・バブルがはじけたことが、さらに大きな超バブル崩壊のきっかけになったと、私は主張します。通常火薬の爆発によって核爆発を起こすのと同じ原理です。そもそもアメリカにおける住宅バブルは極めて一般的なバブルでした。従来と異なっていた点はただ一つCDO(債務担保証券)などの合成金融商品の使用が一般化していた点くらいでした。しかしながら、この通常のバブルの背後には、もっとずっと長い期間育ち続けた、そしてもっと特殊な”超バブル”が存在したのです。」

「この”超バブル”における支配的なトレンドは、信用経済の膨張と、レバレッジの使用の増加がとめどなく続くというものでした。そして支配的な誤解は、金融市場には自己修正の能力が備わっているとの”市場原理主義”でした。”超バブル”を極めて特殊な存在にしたのは、皮肉なことに、超バブルが膨張する過程で何度か金融危機が発生したという事実です。1982年の国際銀行危機、1987年のポートフォリオ保険の大破局、1989年から5年続いた貯蓄組合の危機、1998年にかけての新興市場危機、そして2000年におけるインターネット・バブル崩壊と、何度も危機が発生しております。」

トップに掲げた景気変動と株価の動きの図表をご覧になりながら、以上を熟読されると投資についても処世術についても根本は同じものの見方(哲学)が流れていることに気づかれるのではないでしょうか。これが本日の結論です。

ソロスの文には比喩的表現が多いのですがこの比喩がどの主張に当てはまるかは判断が難しいのです。私なりの解釈で強引に当てはめたとのご批判は覚悟の上、貴重な比喩(現在の日本人にも当てはまり、来たるべき金融恐慌の予見にもつながるであろう)を並べたてました。私の独断と偏見を割り引いてお読みください。お読みいただいた結果「資本主義の呪縛を超えて」のサブタイトルの意味をご理解いただけたら幸いです。