景気変動と株価

前稿でジョージ・ソロスの著作をご紹介しましたが、その後「ソロスの講義録-資本主義の呪縛を超えて」を読了しましたので改めて解説いたします。2009年から温めていた構想が、10年後の今日に生きている先見性に驚きを覚えたところです。

この本が投資術や処世術だと見るのは勝手ですが、それらを包含する高度な哲学だと云うのが私の解釈です。
この本は先ず社会科学が自然科学を真似る誤りから説き起こしております。

17世紀の哲学者デヴィッド・ヒュームの警告を引き合いに出し「”理性は情念の奴隷”だと云う現実主義的見解に基づき、脳科学の発展のおかげで”人間の世界理解は本質的に不完全である”と云う私の主張に更に肉付けが施された事になったと思います」と語っております。

「認知」と「操作」が相互作用を引き起こす仕組みを「再帰性」の概念として説明しているのですが、わかりやすい事例をあげているのでここではその紹介にとどめたいと思います。
「アメリカ人は、日を追って洗練されている心情操作のテクニックによって条件付けられており、今では騙されることを気にしなくなっているのです。それどころか、騙されたがっているようにさえ見えます。」(これが日本人にも当てはまると思うと、まことに耳の痛い話ですね。)

「人間は単純で簡単な回答へと、たとえそれが間違っていようとも容易に誘導されてしまいます。ある予測が正しいとは限らないということを理解するには、人間は一生を丸ごと費やさなければならないかもしれませんが、政治コマーシャルを鵜呑みにするには30秒しかかからないのです。」(近年流行している世界のポピュリズムに対する警告です)

以上は私が脳科学を学んだ過程で得た「複雑系の理論」に似ております。そうなると再帰性のデメリットに対して解決策はあるのかと云う課題に突き当たります。ソロスはこれに対し明快な回答を提示しているのです。「再帰性が社会的事象の参加者の思考にも、その事象の過程にも不確実性をもたらすということを、最初に指摘しておけばよいのです」

「死後の生は存在するのか否かと云う問題に触れた際に見たように、真実を究明することは難しく、しかも何が真実かが分かったところで、それが心情的に受け入れ難いものであることがしばしばです。とはいえ、心理的、政治的な抵抗の最も少ない経路を通っていきますと、真実とは正反対の方向に向かうのが相場だというのも、また真実なのです。不愉快な現実を無視して、もっともらしい嘘を信じ続けると、必然的にそうなるのです。開かれた社会が開かれたままで繁栄しいくためには、摩擦を恐れてはいけません。」(日本の政治状況に対する警告と受け止めました)

社会科学が自然科学のマネをする過ちを指摘し、社会科学を「再帰性」から守るには、最終的には、倫理性と道徳が欠かせないと云うのがソロスの主張のコアだと思われます。
マルクス主義も市場原理主義に基づく「ワシントン・コンセンサス」もこの重要な視点を欠いていると指摘しております。

「カール・マルクスはイデオロギーつまり思考は、生産の物的条件で決まるものだと主張しました。マルクスの理論はポパーの法則に照らせば、科学的とは言い難いものです。ですが、彼は自分たちの作業を科学的だと称してはばかりませんでした。—-方法論も評価の基準も異なるのが当然なのです。
(これから後は新自由主義にも共通の批判ですが)経済理論は、歴史上の出来事を説明するのにも予測するのにも使えるような、普遍的な法則を構築できると期待されるべきではありません。社会的事象を研究する際に、盲目的に自然科学を真似ることは、人間的、社会的事象を不可避的に歪曲する結果をもたらすものだと、私は確信しています。社会科学が自然科学を真似ても、その果実は自然科学そのものに比べて、ずっと乏しいものになるでしょう。」

次にリーマン・ショックの教訓について書かれた例え話を紹介しておきます。「2008年から2009年にかけての世界金融危機は、百年に一度の大嵐に喩えるとわかりやすいと思います。そこに至るまで、いくつもの危機が発生しました。それらは、5年に一度とか10年に一度の規模です。5年に一度とか10年に一度の危機はうまく克服できた規制当局は、同じ方法でもって100年に一度の危機に対処しようとして失敗したというわけです。」(台風19号の教訓に通じます)

「まず、2007年にサブプライム・バブルがはじけたことが、さらに大きな超バブル崩壊のきっかけになったと、私は主張します。通常火薬の爆発によって核爆発を起こすのと同じ原理です。そもそもアメリカにおける住宅バブルは極めて一般的なバブルでした。従来と異なっていた点はただ一つCDO(債務担保証券)などの合成金融商品の使用が一般化していた点くらいでした。しかしながら、この通常のバブルの背後には、もっとずっと長い期間育ち続けた、そしてもっと特殊な”超バブル”が存在したのです。」

「この”超バブル”における支配的なトレンドは、信用経済の膨張と、レバレッジの使用の増加がとめどなく続くというものでした。そして支配的な誤解は、金融市場には自己修正の能力が備わっているとの”市場原理主義”でした。”超バブル”を極めて特殊な存在にしたのは、皮肉なことに、超バブルが膨張する過程で何度か金融危機が発生したという事実です。1982年の国際銀行危機、1987年のポートフォリオ保険の大破局、1989年から5年続いた貯蓄組合の危機、1998年にかけての新興市場危機、そして2000年におけるインターネット・バブル崩壊と、何度も危機が発生しております。」

トップに掲げた景気変動と株価の動きの図表をご覧になりながら、以上を熟読されると投資についても処世術についても根本は同じものの見方(哲学)が流れていることに気づかれるのではないでしょうか。これが本日の結論です。

ソロスの文には比喩的表現が多いのですがこの比喩がどの主張に当てはまるかは判断が難しいのです。私なりの解釈で強引に当てはめたとのご批判は覚悟の上、貴重な比喩(現在の日本人にも当てはまり、来たるべき金融恐慌の予見にもつながるであろう)を並べたてました。私の独断と偏見を割り引いてお読みください。お読みいただいた結果「資本主義の呪縛を超えて」のサブタイトルの意味をご理解いただけたら幸いです。